二・二八事件と台湾

二・二八事件と台湾 台湾

みなさんは二・二八事件をご存じでしょうか。

台湾では2月28日は和平記念日として、休日となっています。

二・二八事件とは

二・二八事件は1947年2月28日、台湾・台北で起きました。前日の台北市でたばこを販売していた台湾人女性に取り締まりの役員が暴行を加える事件がきっかけです。これを機に翌日の28日に市庁舎へのデモが行われました。

しかし、憲兵隊がこれに対し、発砲したため抗争が台湾全土に広がりました。一時台湾が優勢でしたが、中華民国国民政府は中国本土から援軍を派遣し、武力により鎮圧しました。

日本となんの関係があるのか

それは背景を知ればわかります。

1895年4月17日に清と日本が下関条約を結びます。日清戦争で日本が勝利したので、日本は清から台湾を奪い取ります。そこから日本の台湾統治は始まりました。

そして1945年8月10日、日本は第二次世界大戦に負けました。カイロ宣言に基づき蒋介石率いる中華民国国民政府・中国国民党の官僚や軍人らが進軍しました。日本軍の武装解除を行うためです。

そのため、日本も無関係ではないのです。日本が50年間も台湾を占拠していたので、このような事件が起きました。一概に日本が悪いとも言えませんが、確実に複雑な要因の一つになっているでしょう。

当時の台湾人は中国人に不満を寄せていた

日本は台湾で、酒・たばこ・砂糖・塩はすべて政府によって専売させていました。しかし、世界的には専売ではなく自由販売が主流でした。台湾人は50年も日本に統治されていたのでそんなことは知りません。

そこでやっと日本に開放された台湾は祖国に多大な期待を寄せていました。しかし、中国では酒・たばこ・砂糖・塩が自由販売だと聞くと不満を抱きました。何かと日本と中国を比較し、祖国は日本人に及ばないと感じる人が多かったからです。

その不満が大きかったからか台湾では専売局が設置され管理された状態で酒・たばこ・砂糖・塩が販売されました。

事件の詳細

当時専売局はたばこを密輸をしているとの情報を聞きつけ、警察官4人と取締員6人を淡水に派遣ししました。淡水港で密輸しているとの情報があったからです。

しかし、とっくに闇業者は逃げ、摘発できたのは40歳の女性が持っていたたばこだけでした。その女性は2人の子供をもつシングルマザーで家族を養っているものが無くなると困るので、土下座をして懇願しました。

それでも、取締員は銃剣の柄で殴打し、血を流しました。その結果、多くの台湾人が憤慨し、中国人を嫌う抗争が台湾中に広がりました。

参考資料

二・二八事件 - Wikipedia
二 · 二八事件の紹介|二.二八国家紀念館
政府は1995年4月7日に228事件の処理と補償の像を公布し、その年の10月に、虐殺の犠牲者に対する金銭的補償と精神的慰めを扱うために228記念財団を設立しました。 被害者とその家族を調べます

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