フィリピンの聖堂にこまいぬ!?

フィリピン

フィリピンはアジア唯一のキリスト教国家として知られています

そのためフィリピンには数多くの聖堂や教会が存在します

しかし、仏教の象徴であるこまいぬがフィリピンの聖堂にいました

なぜこまいぬが聖堂に?

こまいぬを発見したのはサン・アグスティン聖堂です

サン・アグスティン聖堂はスペイン人によって設立されました

フィリピンはスペインに植民地化されていたのですが、その前はトンド王国と呼ばれ、中国や東南アジア・インド・アラブの国々との貿易で栄えました

そのためトンド王国で仏教は広く知られていました

そのためキリスト教を広めたかったスペイン人は、全く見ず知らずの宗教を受け入れてもらうため既存の宗教も混ぜつつキリスト教を広めようと考えました

その結果、教会にこまいぬがいるというわけです

サン・アグスティン教会とは?

サン・アグスティン聖堂は16世紀(スペインの植民地時代)に設立されました

首都マニラにあり、フィリピンに4つしかないバロック式建築のうちの1つの建造物です

ではどうしてスペイン人はキリスト教を広めたかったのでしょうか

当時のスペインではイエズス会が発足していました

イエズス会は対抗宗教改革の1つの運動体でロヨラがローマ教皇へ服従を近いプロテスタントに対抗してカトリックの世界布教を目指す修道会として創設しました

「イエズス会」というのは「イエス=キリストの伴侶」という意味があります

1540年に教皇パウルス3世から認可を受け、対抗宗教改革の先頭に立って活動を開始しました。

対抗宗教活動とは当時ヨーロッパで広まっていたキリスト教新興勢力であるプロテスタントが起こした宗教改革に対抗する、カトリック教会側の改革運動のことです

簡単に言えば今までどおりが嫌だという人たちに、今まで通りにすることがいいんだ!と主張した活動のことを対抗宗教活動と言います

ルターやカルヴァン率いるプロテスタントが大きくなったことに危機感を持ったローマ教皇側が、プロテスタントを弾圧するだけでなく、カトリックの教皇庁や教会の在り方を改める運動を起こしました

その一環としてカトリック教を布教することがありました

ヨーロッパ内ではある程度宗派が分かれてしまいこれ以上信者を増やせないと判断したカトリック教徒(イエズス会)は世界に目を向けました

ちょうど植民地であったフィリピンはイエズス会に目を付けられ布教の対象になったというわけです

中はとってもきれい

この日はちょうど結婚式が行われていました

バロック式なだけあって結婚式を行えるくらい豪華で美しい建造物でした

豪華で美しい理由はバロック式というだけではありません

じつは3回建設しなおされています

1880年にマニラで大地震が発生しました

教会の左側の塔に大きな亀裂が入り、取り除かれしまいました

また、第二次世界大戦ではサン・アグスティン教会も戦火の影響を逃れることはできず、イントラムロス内の7つの教会のうち他6つは崩壊してしまいました

この周辺はマニラ大聖堂や、ホセリサールパーク、サンチャゴ要塞、フィリピン国立美術館などがあり、いろいろ周れるのでお勧めです

ぜひちらっと立ち寄ってみてはいかかでしょうか?

スペイン植民地時代以前のフィリピン

先ほど少しだけフィリピンがスペイン植民地時代以前のお話をさせていただきました

実はフィリピンの歴史について詳しくわかっているのはスペイン植民地時代からです

それ以前の資料はほとんど残っていません

これはフィリピンがユーラシア大陸から見て遠隔地なため、フィリピンの歴史を目撃する他民族に恵まれなかったのと、熱帯のため考古学的遺物が腐って残りにくかったという事情もあります

しかし中国と貿易していた時の文書が残っています

その文字がとても興味深く「バイバイン」と言います

とても難しいです

こういうのはおもしろいですよね

どう考えたのかとても気になります

これはフィリピンが中国と貿易した際にもらったレシートみたいなものです

中国公認なので広く使われていたのでしょう

それにしても今のレシートと比べると破格の重さですね

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