フィリピンの植民地時代

フィリピン

フィリピンはどのような国なのか歴史の面で調べてみたいと思います

フィリピンの植民地時代は長い

フィリピンの歴史は、①スペイン統治以前(1521年以前)、②スペイン統治時代(1521〜1898年)、③アメリカ統治時代(1898〜1945年)、④独立以後(1946年以後)の4つに大別できます。

引用元:フィリピン政府観光省

ここには書いていませんが③の最後の方に日本の占領時代があります

日本語のドキュメントのためフィリピン観光省の方が日本人に配慮して書かなかったのでしょうか

それでも私たちはフィリピンを占領していたことを知らなければなりません

順を追ってみていきましょう

スペインの植民地時代が長かったのでスペインの文化が色濃く反映されています

1521年にマゼランがフィリピンにやってきて、1565年にスペインによる植民地化が始まりました。この植民地化によって、フィリピンは初めて統一されました。

引用元:フィリピン政府観光省

フィリピンが今の国家のようになったのはこのころのスペインが入ってきたからだそうです

しかしなぜフィリピンではスペイン語ではなく英語が話されているのでしょうか

1898年にはスペインーアメリカ戦争が終わり、フィリピンはアメリカの統治下に置かれることになりました。1901年には公共教育が開始され、英語が教育言語として利用されるようになりました。そのため、フィリピンでは今でも英語が公用語として利用されるようになりました。

引用元:フィリピン政府観光省

アメリカが始めた公共教育政策で英語が普及するようになったのですね

フィリピンは424年という長い年月を他国の支配のもとで成長してきました

そのためフィリピンには様々な文化が混ざったような伝統が残っています

スペイン占領下の跡地

サンチャゴ要塞

これはサンチャゴ要塞です

ホセリサールパークの中にあり、1998年にユネスコ世界遺産に登録されています

スペインが領土を守るために建設しました

首都マニラはパシック側という大きい川の河口にあり、スペインがアメリカに行くのにとても便利な立地をしています

スペインからアメリカに行く船乗りたちはマニラで休憩をとったのです

そのためスペインはマニラを拠点にするため都市を築き上げ、他の国から守るためサンチャゴ要塞を作りました

フィリピンの植民地時代を忘れないようにするためにも重要な建造物なのです

日本も占領していた

日本もフィリピンを占領していました

これは紛れもない事実でホセリサールパークの一角に大きな十字架が立っています

これは日本兵によって殺されたアメリカ兵やフィリピン人を弔うためです

殺された人の数はおよそ600名

多大の被害を出しています

私もこの事実を受け止め十字架の前で黙とうを捧げました

現在の日本とフィリピンの関係は良好

現在フィリピンには多くの日本食レストランや日本企業が進出しており、フィリピン人は日本に好印象を持ってくれているようです

日本食レストランは別記事で紹介した通りで日本企業だと三菱やkawasaki、TOYOTAなど車が多く進出しているようなイメージです

日本食に関する記事はこちら

もちろんエプソンもありますよ

エプソンに関する記事はこちら

戦争はもう繰り返してはいけません

どれだけ悲惨な状態だったことか、、、

想像するだけで嫌になります

どれだけ悲惨な状態か知るだけでも戦争を起こす気にはならなくなると思います

今の状態を当たり前だと思わないようにしたいですね

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